ビールが起点となる冒険
私は「うちゅう」に入って丸3年。ちょうど小淵沢にタップルームができる頃に入社しました。
なんでうちゅうに? と聞かれたら、まず“趣味”としてクラフトビールが好きだったこと。学生時代からひとりで飲み歩くことはもちろん、ビアバーにデートで訪れることもしばしば。なにより、山を走ることが好きで「ビールを飲むお店を決めてから、どこの山を走るかを決め、走りに行く」ということを、楽しんでいたんです。ビールが起点、というか終点、というか。
学生時代は法律を勉強していました。大学に入る前は弁護士を目指そうと考えていました。でも、司法試験は流石にハードルが高くてやめました。
新卒で入社したのは、セキュリティ会社のSECOM(セコム)さん。SECOM、社員はみんな「駆けつけ警備員」からキャリアをスタートします。私は静岡県沼津市の配属となり、2年間ほど「駆けつけ警備員」の仕事に従事しました。その後は東京本社に戻り、オフィスワーカー。警察庁や消防庁などの官公庁のパイプ役となる仕事をしていました。
日本一と世界選手権の経験から
SECOM入社のポイントになったのは、東京オリンピックが決まっていたこと。オリンピックに携われる仕事をしたいと思っていました。
というのも私は「オリエンテーリング」という競技スポーツで、大学生の選手権(インカレ)で日本一になったことがあるんです。それで、日本代表としてスペインで開催された世界大会に出場。そこでの交流が、めちゃくちゃ楽しかったんですよね。以来、“スポーツの世界大会”に関心があったのだと思います。
コロナ禍を経て、2021年に開催された東京オリンピック。私は警察庁の外郭団体に出向してテロ対策の研究に携わって資料をまとめたり、セキュリティガードマンとして現場に立ち合ったり、自分の仕事でしっかりと東京オリンピックに携わることができました。

世界一を目指したいという気持ちがあった
転機は32歳の年の頃。仕事に区切りを感じていたこともあり、次なる目標を求めるようになっていました。加えて、ちょうど子どもが1歳になる頃で、日に日に色んなことができるようになっていくんですよね。子どもの成長を目の当たりにしていると、自分だけ何も変わってないような焦りを覚えるようになりました。あれは、もっと自分も成長していかなければ、という危機感だったと思います。
当時の仕事は年齢的にもポジション的にも、うまくやって当たり前。達成感のようなものが薄れてきていたのかもしれません。というか、「世界一を目指したい」という気持ちが再燃していたのだと思います。けれど、日本を出れば銃社会。セキュリティで世界一を目指すことのハードルの高さを感じていました。
ちょうどその時、うちゅうの採用情報が目に留まりました。世界一を目指せる環境、それがうちゅうだと思いました。
私とうちゅうのつながりについて
仕事をしていると、ミスをしたり、怒られたり、げんなりすることって誰にでもあると思うんです。そういうとき、私はいつも決まって「うちゅうがつながっているビアバー」を検索し、訪れていました。うちゅうを飲んで心を癒されて、明日への活力をもらう、みたいな。うちゅうを飲んでいると、「こんなに美味しいビールがこの世にあって、こうして飲めて、自分はすごく幸せ」と、嫌な気持ちが消えていくんです。
だから、そんなビールをつくっている会社で働きたいというのは自然な感情の流れでした。それに、世界一を目指す活動やそのサポートが、うちゅうならできると思いました。東京を離れ、今からベンチャーに飛び込んでいいのか? という迷いはありましたが、「迷うくらいなら行ったほうがいい」と妻も背中を押してくれました。

よろこんでもらえることの悦び
うちゅうのマネージャーは、醸造以外なんでもやります。タップルームに入ったり、ECサイトをはじめとする販売や事務方の仕事をしたり、広報関連のサポートをしたり。イベントの企画やMVの制作、アパレルの販売など、普通のブルワリーではあり得ない動きも多々あります。
あらゆることに挑戦し続けることのサポートは、あらゆることに触れられるポジション。日々、大変。100%自分の力を出し切っていないと仕事になりません。それが新鮮。仕事としてやっていること自体が楽しいので、精神的に追い込まれたことはありませんね。
中でも、タップルームに立ってお客さんと接しているときは高揚感を味わえます。だって、「うちゅうのビールがこんなにも喜ばれている!」という熱を最前線で感じていられるんですから。これは、うちゅうのいちファンとしても、うちゅうに携わるスタッフとしても、物凄く大きな悦びだと思っています。

届け手という役割への自負
だからこそ私は、プロダクトの価値をしっかりと理解して、自分自身がプロダクトを心の底から素晴らしいと思うことでそれを言葉にし、お客様に伝えるということをしていかなければいけないと思っています。
私は、自分自身がゴールテープを切りたい人間ではないんです。ゼロイチで自分が何かを産み出すことは得意ではない。一方で、「なにかを生み出そうとしている誰かを支えていくこと」にはどうやら適正があり、とても性に合っていると感じます。ビール造りはできないけれど、ビールの届け手であることはできる。それが自分の役割だと考えています。
念願の世界一(※)の目標には思ったよりも早く到達しましたが、引き続き高みを目指していく気持ちは変わりません。私は、ビールそのものを造っていない。でも、自分が生み出したプロダクトだと思えるような関わり方を模索して、次の世界一には自分がもっともっと携わっていたいですね。
※うちゅうブルーイングは2025、アメリカで開催されたWorld Beer Cup 2025「Juicy or Hazy Pale Ale」部門で世界一位を達成

細淵晃平
東京都出身。2022年8月からUchu Brewingにジョイン。2025年5月からマネージャーとして、ネットショップや直営店での販売、バックオフィス業務まで多岐にわたり業務を行う。
文章:小栗詩織